天上から紫陽花へと、雨がそっと降っている。 ぽつり ・・・ ぽつり ・・・ 紫陽花にそっと・・・優しく、降り注がれる。 そして、紫陽花から地上へと落ちゆくその雨の雫は・・・まるで、恋する二人の涙のようにも見えた。 会いたい・・・けれど会う事は出来ない。と言う男と女の思いのすべてを映したかのような悲しい涙雨が・・・ ![]() それは、雨の降りしきる梅雨の午後・・・あかねは、ずっと自分を避け続けている永泉の元を尋ねてきた。 「永泉さん」 「・・・神子」 永泉は突然と尋ねてきたその客の姿に、声を震わせ驚きを隠せないでいる。 二人がこうして顔を合わせるのは、すでに一月半ぶりになっていた。 「・・・私を避けているんですか」 そ、そんなことはありません。と・・・永泉は、あかねの問いにそう答えながらも俯いてしまった。 「やっぱり、避けてたんですね」 慌てながら俯く永泉を見て、あかねはそう言った・・・永泉は返す言葉が見つからなかったため、黙ってしまう。 「・・・どうしてですか」 あかねは、怒っているような・・・悲しいような・・・そんな何とも言えない複雑な表情で、永泉に尋ねる。 「それは・・・」 彼女の、その複雑で真剣な表情に、永泉はより一層黙ってしまった。 「何度会っても、いつも私を避けるように帰って・・・」 あかねは、今にも泣いてしまいそうになっていた。 「すみません」 「謝らないで下さい。私はただ・・・」 どうして避けられるのかが知りたいだけなんです。と・・・あかねは永泉の謝罪に、そう返して言った。 彼女のその言葉に、永泉は・・・・・ 「あなたをお守りする事が八葉である私のすべき事・・・」 「・・・・・・」 「いつも神子であるあなたの側にいて、お守りしなければならないのに」 そう言った・・・永泉は神子を守る八葉として、彼女に謝ったのだ。 けれどあかねは、そんな言葉はほしくなかった。 何故、永泉が自分を避けているのかを知りたい・・・ただ純粋に、それだけだった。 「どうしてですか・・・」 どうして教えてくれないんですか。と・・・あかねは俯く。 二人はややぎこちなく、少し悲しげに話している・・・そんな二人を、降りしきる雨の中にそっと咲く紫陽花が、外から見守っていた。 「み、神子・・・」 あかねは、尋ねても正直に答えてはくれない永泉に、もどかしい想いをひしひしと感じ、俯き・・・黙ってしまったままだ。 「もういいです・・・」 「えっ」 あかねは突然顔を上げ、喋ったかと思ったら、そのまま後ろを向いて玄関口の方へと歩き出してしまった。 そんな彼女の後ろ姿を見つめ、永泉は途惑いながら呼び止める。 「神子っっ」 永泉に呼び止められ、あかねの足は止まった・・・しかし、永泉の方に振り向く事もなく、黙っている。 「神子・・・」 永泉はもう一度、彼女の背中に向かって呼びかける。 「なんですか」 あかねは、やっと永泉の呼びかけに答えた・・・永泉はあかねのその声がおかしい事に、すぐに気がついた。 そして、そっと彼女に近づき・・・顔を覗き込んで見た。 「神子・・・」 あかねの顔を覗き見た永泉は、驚いてしまう。 彼女の瞳からは、ひとすじの涙が ぽつり・・・ と零れ落ちていた。 「すみません」 泣いているあかねを見て、永泉は途惑ってしまった・・・自分はどうすればいいのだろうと、頭の中はそんな事でいっぱいだった。 「私が、あなたを泣かせてしまったのですね」 永泉は、泣き続けるあかねを前にして、途惑ったままだ。 「そんなつもりは、無かったのです・・・」 ただ・・・ただ・・・。と永泉は、何かを言おうとするも、言えないでいた。 「・・・・・・」 そんな永泉に、あかねは声を殺して静かに泣いている。 ぽつり・・・ ぽつり・・・ あかねの涙は、止まらなかった。 外で降りしきる雨の音と、あかねの涙が落ちゆく音が、とても美しいほどに、重なりあっていた・・・・・ 「神子・・・」 その時、永泉は何かを固く決意した様な表情であかねを見つめる。 「あなたを避けていた理由をお話します」 その言葉に・・・あかねは、俯いたままだった顔を上げる。 「・・・話してくれるんですか」 「はい・・・あなたをこれ以上、泣かせたくはないですから」 あかねは、潤んだ瞳のままそっと笑った顔を永泉に向けた。 そして永泉は、ふぅ・・・っと一息つき、あかねに、彼女を避けていた理由を話し始める・・・・・ 「私は・・・神子、あなたに惹かれています」 永泉は突然、話の核心に触れた。 「えっ・・・」 彼の思っても見なかったその言葉に、あかねは声をあげる。 「こんな気持ちのまま、あなたと話してはいけないと思いまして」 「・・・クスッ」 永泉が真面目に話していたその時、今まで泣いていたあかねが突然笑った。 「み、神子・・・何故笑うのですか?」 突然あかねに笑われた為に永泉は頭が混乱してしまい、慌てている。 「だって、そんな事で避けてたなんて」 「えっ・・・?」 あかねは、さらにくすくすと笑っている。 「私・・・永泉さんに避けられるのは、嫌われてるからかと思ってました」 止まらない笑いをこらえながら、あかねは言った。 「そ、そんなことはありません・・・」 永泉は途惑った・・・彼女を避けていたことが、自分が彼女を嫌っているからだと思わせてしまったことに・・・・・ 「でも、いいんです。そのおかげで気がついた事があるから」 「気がついた事・・・ですか?」 ようやく笑いの止まったあかねは、真面目に話し始める。 「永泉さんが・・・」 あかねは、一生懸命に言葉を紡ぐ。 「・・・永泉さんが、好きだって事にです」 「・・・・・」 あかねの突然のその言葉に、永泉は驚いき黙ってしまった。 「・・・・・」 「・・・・・」 そして、しばらく沈黙が続いた後にこう話した。 「そんな・・・神子、私はあなたに想われる資格などありません」 永泉は真剣にあかねの瞳を見つめ、そう言った。 「・・・なんでですか?」 あかねは、永泉のその言葉の意味を問うた。 「あなたは神子で、私は八葉ですから」 「そんなことは、大丈夫だと思いますよ」 「けれど、私は出家した・・・」 永泉は、そんな事ばかり言っていた。 「好きな気持ちがあれば、何事もきっと大丈夫ですよ」 「そうだといいのですが・・・」 永泉は不安げに、下を向いてしまった。 そんな永泉に、あかねはこう言った・・・・・・ 「私は、永泉さんとずっと一緒にいたいです。神子と八葉としてではなく」 「神子・・・」 「永泉さんは、違うんですか?」 あかねは、直球で永泉に尋ねる。 「そ、それは・・・」 その問いに、永泉はまたも言葉を失ってしまう。 「わ、私も神子と同じ気持ちです」 「本当ですか・・・?」 「はい・・・」 「嬉しいです」 あかねは、とびきりの笑顔で永泉に微笑みかける。 そのあかねの笑顔を見た永泉の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 「永泉さん・・・?」 永泉の涙を見たあかねは、心配して永泉に近づく。 「えっ・・・」 俯く永泉の顔を覗き込んだあかねは、驚いたように声をあげた。 永泉が、自分の右手を両手で優しく包み込んだからだ。 「神子・・・」 そして永泉は、あかねを真剣に見つめて話し始めた。 「神子・・・私はずっとあなたの側にいます。たとえ何が起ころうと、ずっとあなたのそばに。私には、頼久や泰明殿のようにあなたをお守りする力は無いけれど・・・でもあなたをお守りしたい・・・そんな風にいつも想っております。私は、私なりにあなたをお守りさせて下さい。そして・・・どうか、この京で・・・こんな私と共に、時を過ごして下さい」 その永泉の言葉にあかねは、とびきりの笑顔で答えた。 「もちろんです。ずっと永泉さんの側にいます」 「神子・・・」 二人は幸せな気持ちでいっぱいだった。 たとえこの先何が起ころうとも、永遠に二人で共に・・・そう決めた。 「あっ・・・雨、やみましたね」 いつしか、頬に伝う二人の涙は乾いていた。 そんな時・・・外で降りしきっていた雨も気づかぬ間にやみ、雲の隙間から見える太陽が紫陽花の雫を光らせていた。 「わあ、綺麗」 「・・・そうですね」 二人の男女と涙・・・ そして、未来想う心・・・ 紫陽花と雨・・・ そして、太陽の光・・・ そのふたつは、まったく別の姿をしていても、まるで・・・まるで、繋がったひとつの姿のようにも見えた・・・・・・ 【完】 |